65. 震一と中島靖子から多くの新曲を学び、コンサートのレパートリーを広げました。

K – Kayoko Wakita K 一番面白かったのは、唯是氏と中島さんをゲストとしてお迎えした時です。お二人が演奏された時には、聴衆の心臓の鼓動が聞こえそうなほどみんな興奮していました。夫婦のチームですからね、それ… 続きを読む 65. 震一と中島靖子から多くの新曲を学び、コンサートのレパートリーを広げました。

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64. 西洋音楽の教育を受けた唯是震一は、箏と尺八のために多くの曲を書きました。

K – Kayoko Wakita K それと、唯是氏は根本的に、西洋音楽の訓練を受けた音楽家なのです。彼はハープ奏者、コンサートハープの奏者で、両親は伝統音楽の先生でした。それで箏の道に入ったのです。彼にとってはとても… 続きを読む 64. 西洋音楽の教育を受けた唯是震一は、箏と尺八のために多くの曲を書きました。

63. 唯是震一と中島靖子から多くの新曲を学び、コンサートのレパートリーを広げました。

K – Kayoko Wakita K 曲目を沢山覚えるために本当に猛練習しなければなりませんでした、と言うのもいつも同じ曲ばかり弾くわけには行かないので膨大なレパートリーが必要だったからです。それで多くの曲を覚えました… 続きを読む 63. 唯是震一と中島靖子から多くの新曲を学び、コンサートのレパートリーを広げました。

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62. 私たちのコンサートでは父と私でバイリンガルの司会を務め、音楽の歴史的な背景や西洋音楽との違いを説明しました。

K – Kayoko Wakita K K – 私は聴衆のために音楽の紹介をし、曲の分析的な解説もしました。また、楽器を紹介して、歴史的背景の説明も行いました。それによって、その曲がどのような曲なのかを知ってもらいたかっ… 続きを読む 62. 私たちのコンサートでは父と私でバイリンガルの司会を務め、音楽の歴史的な背景や西洋音楽との違いを説明しました。

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61. 放送は日系人以外の人々が私たちのコンサートに興味を持つ助けになり、やがて彼らが観客の半分を占めるようになりました。

K – Kayoko Wakita K 西本願寺や禅センター、もとい禅寺や浄土(宗のお寺)でも大きな演奏会を行いました。 そのうちやがて友達が広がり、聴衆も様々人が来ました。と言うのも私たちの(ラジオ)放送番組が知られる… 続きを読む 61. 放送は日系人以外の人々が私たちのコンサートに興味を持つ助けになり、やがて彼らが観客の半分を占めるようになりました。

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60. 私は正派に入り、KFACラジオ放送で中島雅楽之都の曲を紹介しし始めました。私と私の母の弟子の多くが正派で名取になりました。

K – Kayoko Wakita K そんなことで、60年代後半から70年代にかけて、中島先生親子から「私たちの会に入って、我々の音楽を紹介するお手伝いをなさるつもりはありませんか?」と打診されました。新曲の創作が行わ… 続きを読む 60. 私は正派に入り、KFACラジオ放送で中島雅楽之都の曲を紹介しし始めました。私と私の母の弟子の多くが正派で名取になりました。

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59. 1950年代、パサデナの国際音楽祭で、正派の創立者、中島雅楽之都とその娘の中島安子の世話をしました。

K – Kayoko Wakita K これは50年代後半のことですが、パサデナで色々な国が参加している国際音楽会議がありました。日本からも招聘されましたが、招かれたのは正派生田流を起こした中島雅楽之都先生でした。彼と箏… 続きを読む 59. 1950年代、パサデナの国際音楽祭で、正派の創立者、中島雅楽之都とその娘の中島安子の世話をしました。

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58. 両親は毎週日曜、中華料理店の開店前に演奏していました。主に箏を弾く人、それに尺八や三味線を弾く人も、彼らと一緒に演奏しに来ていました。

K – Kayoko Wakita K でも、週末は両親が再び大好きな音楽をやり始めたので、それで時間が埋まってしまったのです。日曜日、レストランに行って店を開ける前に、両親は10時までには起きて合奏したり各々演奏したり… 続きを読む 58. 両親は毎週日曜、中華料理店の開店前に演奏していました。主に箏を弾く人、それに尺八や三味線を弾く人も、彼らと一緒に演奏しに来ていました。

57. 戦後、退役軍人にさえ大きな反発がありました。私たちが敵と同じように見えたからです。

K – Kayoko Wakita K 収容所を出て来たのちの、我々への弾圧はすごかったです。戦争に行った人たちも復員してきた頃で、彼らは私たちに対しての憤りがあったんですよ。つまり、彼らは自分の民を守るために戦争に行か… 続きを読む 57. 戦後、退役軍人にさえ大きな反発がありました。私たちが敵と同じように見えたからです。

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56. シャーリーの語り。彼女の息子は沢井流の現代曲で箏に興味をもち、やがては師範目指して学ぶようになった。

S – Shirley Muramoto S 私が思うに今の子供達については、私の息子がまさにそうなのですが、彼は箏に興味を持って、私と一緒に箏を弾いて育ちました。私は彼がそれほど箏に対して真剣だとは思っていなかったので… 続きを読む 56. シャーリーの語り。彼女の息子は沢井流の現代曲で箏に興味をもち、やがては師範目指して学ぶようになった。

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