母は生田流の箏を学んでいましたが、その中にもいくつか流派があって、正統な生田流の学校で学ばなければなりませんでした。しかし、その頃母には山田流の箏を学んでいる友人達がいて、しかも親友が山田流の先生だったのです。でもそれは… 続きを読む 11. 母は生田流の箏曲家でしたが、山田流の友人とリサイタルを開いていました。
カテゴリー: 脇田
10. 父と日本の尺八制作者との文通
父は学者タイプでしたから、常に尺八をどうやったら改善できるか考えていました。穴を開けるのには、技術が要りますからね。しかも元々は節のある一本の長い竹だったものに、正確な音程が出るように正確な位置に穴を開けるのです。それで… 続きを読む 10. 父と日本の尺八制作者との文通
9. 両親は、日本の伝統的なしきたりをアメリカでは取り払い、違う流派の音楽家とも活動しました。
彼らはある意味伝統を破ったんです。日本ではとても厳格な規則に縛られるでしょう。あなたは我々の音楽を演奏しなくちゃいけない、我々の流派の規則や規約に乗っ取らなければいけない、とか。私の父はそれを馬鹿馬鹿しいと思ったのね。彼… 続きを読む 9. 両親は、日本の伝統的なしきたりをアメリカでは取り払い、違う流派の音楽家とも活動しました。
8. 一世は懸命に働き、二世が日米の橋渡しになることを望んでいました。
すべての一世たちにとっては、失うものは何もなく、全てが勝ち取らなければならないものでした。ですから、がむしゃらに働きました!そして彼らは、生活を向上させるためには二世世代がそこに繋がる架け橋にならなければならず、そのため… 続きを読む 8. 一世は懸命に働き、二世が日米の橋渡しになることを望んでいました。
7. 母も裕福な家の出で、アメリカで歯科医になることを目指していました。
母は和歌山県の新宮で生まれました。大きな町です。母の母方の祖父母は大きな醤油工場を持っていましたので、何も不自由のない家庭に生まれました。母の父はその会社のマネージャーで、会社の所有者の娘と結婚しましたから、家族はそこで… 続きを読む 7. 母も裕福な家の出で、アメリカで歯科医になることを目指していました。
6. 祖父のような裕福な家の子息たちはアメリカの生活を視察に来ていました。
はい。彼の父親もアメリカがどんなところか見に来ました。その頃、他の人たちも皆そうしていましたからね。そしてその人たちの多くは、そうするだけの稼ぎのある男性でした。商売人とか。裕福な家庭の息子とか。彼らは学校に行ったり何か… 続きを読む 6. 祖父のような裕福な家の子息たちはアメリカの生活を視察に来ていました。
5. 父の実家、岡山県での階級差別
しかし、父は、(日本で)人々が身分階級によって差別されているのを見ながら育ち、そしてそれが嫌だったと言っていました。「自分はその影響を受けなかったし、人は皆平等であると、ただ思っていたけれども、でも世間はそうではなかった… 続きを読む 5. 父の実家、岡山県での階級差別
4. 父はなぜハウスボーイ(住み込みの下男)をしながらアメリカに残りたかったのか。
父の話に戻ると、彼はアメリカに残ることを望んでいました。博識な人でしたね。面白い人で、よく笑って、「学校に行くと本当に下らないテストをやらされるから、テスト用紙に「0」と書いて、机の上に放り投げて出てったよ」と言っていま… 続きを読む 4. 父はなぜハウスボーイ(住み込みの下男)をしながらアメリカに残りたかったのか。
3.ジャネット・ゲイナー(女優)は両親の音楽が大好きでした。
その頃、今もまだありますが、オルフェウム劇場でライブショーをやっていて、多くのスターたちがここで上演したり、出演していました。その公演が跳ねてから、その人たちが両親のレストランに立ち寄っていました。その中にはジャネット・… 続きを読む 3.ジャネット・ゲイナー(女優)は両親の音楽が大好きでした。
2. 両親はロサンゼルスでレストランを経営して成功する傍ら、邦楽を近所の人に教えていました。
そして二人はそれぞれ尺八と箏を演奏しましたから、それを近所の人々や友人たちと共に楽しみ、やがては空いた時間にそれらの楽器の演奏を教えるようになりました。彼らはまた、鉄道の駅の近くにレストラン、アメリカスタイルのレストラン… 続きを読む 2. 両親はロサンゼルスでレストランを経営して成功する傍ら、邦楽を近所の人に教えていました。