1. 両親は尺八と箏を演奏しました。1920年代に人種差別を経験しています。

両親は音楽家でした。父は若い時に日本で尺八を習っていましたし、母はお箏の先生をしていた私の叔母に習っていました。それで二人は一緒に練習するようになったのです。ですから、明らかに二人は、お互いに一目惚れしただけでなく、音楽、伝統音楽の楽しみを分かち合ったことによって結ばれたのです。しかし、これはとてもよく覚えているのですが、父は、シアトルから2−3マイル郊外の農場に住んでいた友人に未来の花嫁を自慢したくて、二人で電車に乗って訪ねて行った時のことを話してくれました。
その帰りに、二人は他の人と変わらない大人用の切符を2枚持っていたのに、牛用の車両に入れられてしまったのです。「あの時のことは決して忘れたことがない。こういうことを経験したのは、それが最初だった。そしてそうされたのは自分たちが有色人種で、人種が違うからだということがわかったんだ」と父は言い、そのことがずっと記憶から離れなかったと話してくれました。しかし、やがて、私の叔母の夫が亡くなって、ロサンゼルスに住んでいた彼の家族にその遺灰を持って行くことになりました。それが両親たちがロサンゼルスに来た経緯です。

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