5. 父の実家、岡山県での階級差別

しかし、父は、(日本で)人々が身分階級によって差別されているのを見ながら育ち、そしてそれが嫌だったと言っていました。「自分はその影響を受けなかったし、人は皆平等であると、ただ思っていたけれども、でも世間はそうではなかった」というのです。父は10代の少年時代にすでにそれを感じ取っていました。若くしてそこまで鋭い観察眼を持っていたのは驚くべきことだと思います。父は、人々がそのように区別されているのに気づき、自分達もその序列システムの中にあったと言っていました。自分の家は裕福な上層階級の農家だったけれども、学校の帰りに、そうでない家の子供達を家に連れてきて、家族を居心地悪くさせるようなこともあったそうです。それでも彼らを家に招き、昼食を共にし、彼らの家まで送って歩いたと言っていました。時にはその子達の家を訪ねることもありましたが、父はその地域の子供では無いので、近所の人々から大いに疎まれたということでした。でも父は「気にしなかった」と言います。その子達は友達だと言うのです。そしてこれが、少年時代に彼がすでに持っていた人生観でした。ですから、アメリカに来て、平等と自由と選択の余地があることを見た時、父はものすごく衝撃を受けたと思うのです。それで彼は、「さて、お父さんには日本に帰ってもらおう。でも、自分は残るぞ!」と言う決断をしたのです。

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カテゴリー: 脇田

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