24. 両親のレストランは、兄、叔父、叔母、そして日本人の友人から養子として引き取った男の子で経営されていました。

  • K – Kayoko Wakita
K
皆、何かしらして働かなければならなかったんです。叔母と叔父は歳をとってきていて、彼らもそこで働いていました。叔母はスープや麺やエッグフーヤンを、父は揚げ物全て、母は主菜全てを担当していました。母方の叔父は皿洗い、私の弟は給仕助手でした。それから両親が育てた男の子が一人いました。この子の両親は大恐慌の時に彼を育てることができなかったのです。お金がなかった。そこに持ってきて女性にはすでに二人の娘がいました。それで女性が(男の子をうちに置いてくれるようにと)願ったのです……その家の父親と(私の父と)は日本で同じ県の出身でした。そういうことで父親が私の父に「助けてくれないか」と縋りついて来ました。父は、「上の男の子を引き取ろう」と言い、下の子は私の母方の叔母と叔父に預けられました。それで二人は私たちの家から学校に通いました。でもね。彼らは他の私たちと同じように働いて助けてくれましたよ。それから兄さんの方は戦争に行って亡くなりました。次男は、日本から来た女性と結婚しました。が、不幸にも向こうで亡くなりました。
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カテゴリー: 脇田

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