37. 父は、2~3本の尺八を収容所に持ってきていました。他にもそのような人はたくさんいました。

K – Kayoko Wakita K 父は収容所に自分の尺八を持って来ていました。小さなものなので、2管か3管持参していました。これくらい(両手で長さを示して)でしたからね。ケースも持っていました…… K 竹が見つかり… 続きを読む 37. 父は、2~3本の尺八を収容所に持ってきていました。他にもそのような人はたくさんいました。

36. 人々は尺八と箏を椅子に座って演奏できるように、楽譜台を作りました。

K – Kayoko Wakita S – Shirley Muramoto S (佳代子にマンザナー収容所で使用された譜面台の写真を見せて)これらの譜面台はあちらで使っていたものでしょうか? K そうです。自分たちで手… 続きを読む 36. 人々は尺八と箏を椅子に座って演奏できるように、楽譜台を作りました。

35. 父は日本の伝統音楽について日本語でたくさん書き溜めていましたが、収容所に行く前に全て燃やさなければなりませんでした。

K – Kayoko Wakita K 父は地元(アメリカ)の音楽家だけでなく日本の音楽家についても執筆していました。日本に住む箏・尺八・三味線の師匠のほとんどと連絡を取り合っていましたから。日本の雑誌、音楽雑誌ですね、… 続きを読む 35. 父は日本の伝統音楽について日本語でたくさん書き溜めていましたが、収容所に行く前に全て燃やさなければなりませんでした。

33. 友人に預けていた着物は、後に収容所に送られてきました。カタログ注文で布を購入して収容所で着物を作ることもありました。

K – Kayoko Wakita S – Shirley Muramoto K はい。着物を持っていました。信頼していた友人たちが、私達が残してきた着物の箱を親切に送ってくれましたので。防虫剤を入れてスーツケースに詰め… 続きを読む 33. 友人に預けていた着物は、後に収容所に送られてきました。カタログ注文で布を購入して収容所で着物を作ることもありました。

31. リサイタルは食堂で開催され、多くの人が準備に関わり、その中で幸せと平和がもたらされました。

K – Kayoko Wakita K そして2回、3回だったかな、「食堂」と呼んでいたところで演奏会をしました。前向きなことが起きている時には、……人はそれに参加したくなるものですから、素晴らしい展開が起きました。母親… 続きを読む 31. リサイタルは食堂で開催され、多くの人が準備に関わり、その中で幸せと平和がもたらされました。

22. 父は言った「お前たちはアメリカ人だということを忘れてはいけない。たとえ収容所に入れられようとも」

そして、収容所に立つ1、2日前に、父がこう言ったんです。「子供たち、覚えておきなさい。お前たちはここで生まれた。お前たちはアメリカ人なんだ!アメリカ人として生まれたからにはアメリカに忠義を尽くさなければならない。我々がこ… 続きを読む 22. 父は言った「お前たちはアメリカ人だということを忘れてはいけない。たとえ収容所に入れられようとも」

20. 非日系の友人の兄弟が第二次大戦で亡くなりましたが、友情は続きました。

K – Kayoko Wakita P – Pauline Fong K 私の兄弟(友達の兄弟)のバッドが私たちをエスコートしてくれましてね、それは良い気分でした!迎えに来てくれるのですよ。私は学校に友達がい… 続きを読む 20. 非日系の友人の兄弟が第二次大戦で亡くなりましたが、友情は続きました。