17. 戦時中、黒人街、ブロンズヴィルと化したリトル・トーキョーには、大好きな黒人ピアニスト兼シンガーのハダ・ブルックスがよくやって来ていました。

(リトル東京は)ブロンズヴィル(赤銅色の街)と呼ばれていました、黒人がそのエリアに移住して来ていたからです。それで私たちはあまり頻繁に行かなくなりましが、そのうちにだんだん日本人も、前にいた場所で商売を再開するために戻ってくるようになりました。(その頃はもう)商売が出来ましたから。(当時界隈には)ナイトクラブが沢山ありました。ハッダ・ブルックスという素晴らしいピアニスト兼シンガーを覚えています。彼女は黒人で、サンペドロ通りにあったスタジオの一つにレコーディングに来ていました。レストランが一軒あって、並びにスタジオがありました。彼女は運転手付きの車でやってきて、車の中からすっくと出てきたものです。私は「この女性の歌が聴きたい!」と(夢中になって)レコードを買ったことまで覚えています。当時とても人気のある歌手でした。それはさておき、あの頃はまだ、黒人を多く見かけましたし、彼らのナイトクラブが沢山ありました。でも次第に日本人がそのエリアを買い戻して行きました。そこが自分たちの居場所だったんですからね。

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カテゴリー: 脇田

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