35. 父は日本の伝統音楽について日本語でたくさん書き溜めていましたが、収容所に行く前に全て燃やさなければなりませんでした。

  • K – Kayoko Wakita
K
父は地元(アメリカ)の音楽家だけでなく日本の音楽家についても執筆していました。日本に住む箏・尺八・三味線の師匠のほとんどと連絡を取り合っていましたから。日本の雑誌、音楽雑誌ですね、伝統音楽の雑誌に、よく書いていました。それでそういう方達と文通していたのです。そして、伝統音楽は日本とアメリカを繋ぐために、どんな役割を果たしているかを書こうとしていました。ですからその資料が1.5フィート(約45センチ)くらいの高さに積み上がっていました。しかし、私達が収容所に出発する前に……私にとっておそらく一番胸が痛んだことでしたが…… 私は父がその資料を燃やすのを手伝ったんです。日本語で書かれたものは全て(処分)、という事でしたので。でも楽譜は数字で出来ていましたから免れました。それで父と私は咽び泣きながら1枚ずつ、1ページずつ燃やして行きました。私たちの人生で最も困難な出来事(聞き取れず)でした。父はそれから二度と執筆をしませんでした。

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