41. 中島千穂子の父は、日本からいろいろなエンターテイナーを招聘し 、日本人街のエンターテインメントの中心地だった大和ホールで演奏させていました。

  • K – Kayoko Wakita
K
彼女の夫は芸能界のビジネスにいたのです。日本から色々な芸能人を連れて来て、日本人が多くいる街々に巡業に行きました。日本人コミュニティのための、いわば米軍慰問団のようなものでした。そこでは、(芸能人の)「本物」に出会えたし、遭遇するチャンスがあったのです。面白かったですよ。そして当時、戦前の日本人街にはヤマトホールというのがあって、そこで全てのショーの公演が行われていました。相撲トーナメントもありました。あれは2、3の小街路が支援していたと思います。とにかく皆がヤマト(日本語の発音で)「ホール」に行ったものです。そして……ヤマトホール……「ホール」と(日本風に)発音していましたが、そこに日本の有名な芸能人が大勢来たのです。歌手や、ダンサー、演劇俳優などですね。彼らは日系ホテルに滞在して、そこ(日本人街)で公演しました。ですから私たちは沢山の芸能人に出会う機会があったのです。彼らも滞在を心から楽しんでいました。私たちにとっては日本から来た彼らのショーこそが自分たちの娯楽でしたから、それは一大事でした。それから、二世週祭。いつでも二世週祭があると、コンテストから何から全て、ヤマトホールで開催していました。とても活発で面白いところでした。
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カテゴリー: 脇田

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