- K – Kayoko Wakita
- K
- これは50年代後半のことですが、パサデナで色々な国が参加している国際音楽会議がありました。日本からも招聘されましたが、招かれたのは正派生田流を起こした中島雅楽之都先生でした。彼と箏の名手の娘さんが来られたのですが、二人とも英語を話しませんでした。それで、私の父の禅の師であった千崎先生から電話があり、「中島先生(彼も禅の生徒でした)がこの会議に来ておられるのだが、君は音楽用語がわかるし、伝統音楽にも傾倒しているから、君の娘にも手助けしてもらえるだろうか」と聞いて来ました。それで父は「もちろん喜んでお手伝いします」と答えました。